阿部川芳夫。日本で一生懸命やってハワイで爆発!

サーフィンが日本で行われるようになって半世紀がたった。人生50年といわれたのはとうの昔。今では会社をリタイヤした50歳すぎのパパ達が青春カムバックでサーフィンに燃えている。いいものはいい。サーフィンするといつだって気持ち良くなる。サーフィンは永遠ですね。

サーフィンの歴史が50年だとしたら、大磯のドミンゴサーフボードオーナーの阿部川さんのサーフィンキャリアは同じくらい。プロサーファー、サーフボードメーカー、プロ組織理事、地元ボランティア、ずっとずっと日本のサーフィンの先頭で今も走り続けている。仕事としては現在プロシーンからは引退状態。ドミンゴサーフボードオーナーが大磯店で店番をしながらサーファーの面倒を見てくれている。サーフィンはバリバリのショートボーダー。大磯と酒匂とノースショア。この3ポイントが大好物。今もサーフィンに磨きをかけながらサーフィンライフスタイルを築き上げている。もちろん家庭では良きパパ。音大生の一人娘さんは声楽家を目指している。

さて、デン助が伝えたいのは、毎冬ノースショアに取り組む阿部川さんの気持ちと姿勢だ。毎冬パイプラインマスターズをはさんできっちり2週間タートルベイにステイ。ノースショアメンバーの最年長であることはいうまでもない。そして早朝と夕方は必ず1日2ラウンドはみっちりこなす阿部川さん。ノースショア到着から日がたつにつれ、すっかり日焼けした表情は活き活きと目が輝いてくる。ノースショアが楽しくて仕方ない。サーファーらしいオーラを出しまくってニコニコしている。

ノースショアをサーフィンする理由を、「サーファーであることの証明」、阿部川さんはそう考えている。大磯のゲンジでやるのもサーフィンだけど、もうすぐ60歳になる年齢になったけれど、ノースショアを滑りたいという気持ちは最初にノースショアを訪れた34年前と一緒。キッズや他のプロサーファーと同じくらい熱くピュアに胸に突き刺さっている。ノースショアは、野球でいえば大リーガー、登山家でいえばアルプス。生死がかかっている。真剣になる。だから素晴らしい。自己満足だといわれようが、バックドアやOTW、サンセットのチューブは阿部川さんにとってサーファーであることを証明してくれる波なのである。

ノースショアといえば、よくいわれるところのビッグウェイブの恐怖心についても阿部川さんは、挑戦と克服の連続で気持ちが鍛えられたと教えてくれた。「見てちゃダメ。入ってみる。そして通ってみる。それじゃなきゃ始まらないよ。」何事もサーファーであることの証明なのだ。意志が強くなり、あの波に乗れるんだったら何でもする。だから、そのくらいに普段から節制して暮らしている。いくつになってもプロフェッショナル。サーフィンの道は様々でそれぞれに奥が深い。

ノースショアで滑れなくなったらサーフィン辞めちゃうという阿部川さんは今年の12月で60歳。ハワイで迎える連続35回目のバースデイはきっとグッドライディングに満たされているでしょう。

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